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紅き月の巫女―ナイトウィザードリプレイ (ファミ通文庫)
先日の日記■[TRPG]ロールプレイがやりにくい?を読んだ人からちょっとした指摘を受けました。

記事の中で私は「FEARのゲームが演出優先で言った者勝ちのゲームである」と評したのですが、「FEARゲーは基本的に「ルール優先・演出後付け」であり、「演出優先で言った者勝ちのゲーム」というのは違うだろう」という指摘でした。

TRPGをプレイする方々には有名な話かな」と言ったのは、身の回りにそういう表現をする(自称TRPG通の)人が多かったから… というのも要因の一つなんですが、私自身もその表現が間違っているとは思っていないのであえてそう書きました。

もちろん、「ルール優先・演出後付け」というのを知らなかったわけではありません。
が、この表現に私は強い違和感を覚えます。
ルールは遵守するものであり、優先するものではないのではないかと思うのです。
許されるのはせいぜい、拡大解釈と未定義の事柄の裁定だけではないかと。
ルールは遵守するものであるという前提の上で、私は「FEARのゲームが演出優先で言った者勝ちのゲームである」と考えます。

たとえば、「紅き月の巫女」でナイトメアは「入れるんだから出られるだろう」とルールの拡大解釈を求めています。もちろんGMが駄目と言えばそれまでですが、ここではGMは許可しています。
公式リプレイを読んでいると、たびたびこういった光景が目に出来ます。
ダブルクロスでもナイトウィザードでもセブン=フォートレスでも、本当は戦闘を行う予定だったところをPLの演出を優先したことで演出戦闘としたシーンもありました。
もちろん、GMのプレイスタイルにもよりますが、ここに「言ったもの勝ち」の要因のの一つが垣間見えます。

それに比べ…というべきかは微妙ですが、先日、ソードワールドリプレイNEXTをちらっと読んでみました。
このリプレイの中では、「〜が出来るから〜を連れて行こう」「〜なら出来そうだからやってみよう」という行動が多かった気がします。

例えば、ソードワールドでは敏捷度によってどれくらいの距離を跳躍できるか、というルールが存在しますが、ダブルクロスには「跳躍は運動技能に属する」ことは書いてあっても、明確に距離に関する記述はありません。
なので、たとえば深く広い谷を向こう岸まで跳びたい時、ソードワールドでは「〜mくらい?それじゃあ飛べないや」で終わってしまう所を、ダブルクロスでは(GMがどの程度の難易度を設定するかにもよって失敗するかもしれないけれど)「跳ぶ」と言い切ることが出来るのです。

何が言いたいかと言うと、ルールに遵守する限り、一般的なゲームは「ルールの中で出来る最大限の工夫を考えるゲーム」であり、FEARのゲームは「ルールには従った上で拡大解釈や未定義の事柄で工夫するゲーム」という印象があるのです。
まあ、裏を返せばルールの中で十分に対応、機能できると言うことはそれだけルールが柔軟に作られていて、未定義事項を駆使しないと機能しないと言うことはルールが未熟だとも捉えられるわけですが。
そのあたりも、ゴールデンルールと言われる「ルールで未定義の事柄はGMの自由裁量」という姿勢の現れかな、と。

一応、GMに却下する権限が定義されているとはいえ、「拡大解釈や未定義の事柄の宣言を許容する」という姿勢は「言ったもの勝ち」と言えるのではないでしょうか?