FEARゲーにおける判定の必要性

初めてトラックバックをもらいました。
嬉しいので…と、内容が気になるものだったのでここでトラックバックを送り返してみようかと思います。
やり方間違ってたりしたら恥ずかしいな(ぉ)

まず、いただいたトラックバックはこちらの酔虎の博客様。
そちらに引用されていたROLLING DOWN様も読ませていただきました。

まず初めに、「ロールプレイをすることだけに特化する」のであれば、お二方の仰るように判定を含むルールは単純であれば単純であるほどいいと思います。
それこそキャラ設定だけを行って、失敗の可能性がある行動だけはGMの指示する目標値を目指して2D6を振るだけ、キャラ設定時の口車でGMが目標値設定の裁量を変えるだけ…でも十分にゲームになると思います。

ただ、私が考えるFEARゲーの特徴は決して「システムを無視してロールプレイを自由にできる」事ではなく、「システムと演出が独立してる」事です。

以前も書いたのですが、FEARのゲームはある程度形式的にダイスを振っていけば物語が進むように出来ています。
その合間にロールプレイをする事で「テーブルトーク」になるわけですが、FEARのゲームデザインは「初心者への勧め安さ」を目指している事があり(適しているとは言い切れませんが)、その過程で初心者が躓き安いところが「ロールプレイに順応出来ない」「自由度の高さの所為で何をすればいいかわからない」だと考えているのではないかな、と私は感じています。
D&Dなどのような硬派なファンタジーでもクトゥルフのようなホラーでもなく、今の若者の手に届きやすいラノベや漫画、ゲームに見られるライトファンタジーや現代異能ものなどを世界観として提示し、参考作品の項目にもそういったものを多く載せている点、そして先日も挙げた「FEARのゲームはシステムと演出が独立してる」点が、私の論拠です(後者に関しては既に私の持論であって論拠とするには薄いかもしれませんが)。

TRPGからロールプレイの要素を排除すると、一見ただのボードゲームのようになりますが…スタートからゴールまでの手順が決まっていない、手番で出来ることが決まっていないのではゲームにはなりません。(逆にロールプレイの要素を含んだボードゲームは数多く存在しますが)
たとえば、手持ちのリソースと相談して能動的に行動を考えていかなければならない…そういう段階で、ゲーム的に「何をすればいいかわからない」初心者は行動を起こせずに、誰かが何とかしてくれるのを見ているだけしかできません。

そこで、「ここでは情報収集が出来る。ここではイベントが起こるから受身で見ていればいい。ここでは戦闘が起こるからこのルールを使用する」というある程度の流れがテンプレートとして作られることによって、たとえばすごろくのように、卓のみんなと一緒になってゲームを進めている感覚が得られるようになっているのではないかと。
こうして「ゲームを進めている感覚を得る」為には、ダイスを振る回数が多めであったり、多少複雑化した手順でプレイした方が「遊んでいるつもり」にはなれます。

上記の二種の比較は「経験者のサポートがあれば十分に出来る」とは思うのですが、「ここではこのアイテムを使ってこういうことが出来るよ」と言われるのと、「このシーンは情報収集のシーンだから何について聞くかを考えて」と言われるのと、どちらが「遊んでいるつもりになれるか」という部分で差があると思います。(少なくとも私は前者では自分の手で遊んでいるつもりにはなれません)

GARGILL様の仰る「障害(困難)を突破することによる達成感」と「ストーリーを能動的に進めることによる達成感」も、(FEARゲーを遊ぶプレイヤーがそれを望んでいるかどうかは別として)戦闘のバランスでまかなう事は確かに難しくなっていると思いますが、シナリオとして情報の出し方等のギミックの使い方次第では可能であると思います。

以前のゲームでは、与えられたパーツ(データ)をどのように組み上げるかを自由に創造できた「積み木遊び」のような遊び方だったのが、今は与えられたルートをどのように進んでいくか、という「すごろく」のような遊び方に変わってきている…というのが、GARGILL様が「別物」だと感じるポイントなのではないかな、と。
勝手な推測で失礼いたします。