ハンドアウト論

最近(に限らず)、ハンドアウトに関してはいろいろと論戦が繰り広げられている模様です。
せっかくだから自分も、誰がどんなことを言ってるとかまったく無視して自分の思うハンドアウト論を書き綴ってみようかと。

私にとってハンドアウトとは「支援ツール」です。
何を支援するかというと、他の何よりも「プリプレイの短縮」と言う部分ではないかと思っています。

たとえば、一つのPTの中では前衛と後衛、火力と回復などの役割分担が行われます。
相談もなしに作って全員が回復役だったなんてことになっては目も当てられないし、お互いにお互いが作るキャラクターを見ながらバランスを取ってキャラメイクをするのが当然の姿だと思います。

では、尺を一つのPTから一つの「物語」に置き換えたらどうでしょう。
主役となって事件に巻き込まれる(もしくは首を突っ込む)キャラクター、主役に引っ張られて事件に関わっていく友人や幼馴染、主人公の暴走を諌めたり手助けしたりする大人など、ある程度の「役割」はPTを作るのと同様に決まってくるはずです。
そこに、その時に遊ぶシステムの世界観やGMの用意したシナリオの都合を加味して判断材料として、キャラクターメイクを行う。あるいは、GMが出来上がったキャラクターを見てシナリオを組み立てる。
それは、キャラメイクをする際には自然と行われていることだと思います。

つまり、キャラメイクには「システムなどから推測される世界観に必要な役割」と、「そのシナリオをプレイする時に必要な役割」を総合し、「誰がどの役割につくか」と言うことを相談する必要があるということです。
ハンドアウトは、それまで口頭で説明されていた「総合された役割分担」を、紙に書いて配ることで視覚化し、形に残したものであると考えます。

ハンドアウトを使う利点は主に三つ。
・視覚化してあるので再確認をしたい時にいちいちGMに説明を求める必要がない。
・誰がどの役割を受け持つのか、という事が視覚化されているので(配られた紙を受け取ると言う行為も含めて)確認がしやすい。
・口頭だと曖昧になってしまう(覚えきれない)情報量を残しておける。

特に三つ目の点が特徴的なのではないかと思います。
「PC1:戦士 PC2:魔法使い」などとしか書いていないハンドアウトは、まあ、滅多にないと思うのですが。
ハックアンドスラッシュなどと違い、物語性を重視したシナリオでは「こういうシナリオならこういうキャラクターの方が見栄えがいい」みたいな傾向は(プレイヤーの好みも含めて)少なからずあります。
そういった「シナリオに対する判断材料」として情報量が増えるのは、環境によっては重要なことかもしれません。
某E○A主人公がなよなよした根暗ではなく、大喜びでロボットに乗り込んで大暴れするような熱血少年だったら雰囲気ぶち壊しだっただろうと言う話です。
……とはいえ、誰がどんなキャラクターを演じるかわからない、物語がどう転ぶかわからないからこそTRPGって楽しいのだと思うのですが。

逆に、サークル内で「自由にキャラ作っていいよ、キャラを見てシナリオ作るから」と言ったら全員が顔を見合わせるだけで誰も相談を持ちかけたりせず、キャラメイクができなかったのはハンドアウトの悪影響の部分の象徴っぽいな、などと思ってしまいました。