危機感の違い

以前、お約束について書いた時の話に通じるものがあるのですが、私は時たま、自分とはまったく価値観(プレイスタイル)が違う人とTRPGについて話すことがあります。

そんな話の中に一つ。
ガンドッグをやってて、頭を使わないプレイヤーがいた。敵基地内の移動にエレベーターを使って、馬鹿正直に乗り込んでたらドアが開いた瞬間に蜂の巣にされるのは当たり前だ」
なんて話がありました。
自分の思い込んだ常識を押し付けて相手を馬鹿にしてる態度に呆れ…とかいうのは置いておいて、ちょっと「なるほど」と思ったことがあります。
それは、「プレイスタイルによる危機感の違いについて」。

たとえば、D&Dでは何フィートだかの棒が必須アイテムで、遠くから罠を調べたりするというのが常識だとか(聞きかじりで未プレイなので用法が間違ってる可能性はあり)。
ガンドッグクトゥルフなんかでは、目の前に立ちふさがる障害を如何に避けるか、自分たちの優位を確保するか、というところに頭を使い、読み違いや先走りがダイレクトに死に繋がったりします。

では、たとえばダブルクロスではどうでしょう。
いくらダメージを負おうとも、何度死のうとも、リザレクトやタイタスで復活します。
アルシャードでも一度死んだところでブレイクするだけだし、ナイトウィザードでもとりあえず生死判定で成功すれば死ぬことはありません(生死判定を失敗しにくくするサポートも複数用意されてるし)。

まあ、「システムごとに死亡に対するアプローチが違う」というのも当たり前の話なのですが、むしろ気になるのは、「死亡に対するアプローチの違いで、ロールプレイの質が変わる」というところです。

先ほどのエレベーターの話で、私が最初に思い出したのはFF7で、神羅の本拠地に潜入したシーンでした。
階段を駆け抜けていくか、エレベーターで一気に行く代わりに、ランダムで敵とエンカウントするか。
もちろん、敵に会ったら即死なんていうことはないし、戦闘が少し面倒なくらいです。
「素直にエレベーターに乗ったら死ぬのが当たり前」という考え方は、一般的なCRPGに慣れているグレイユーザーには思いつかないというのは想像に容易いでしょう。

そして、きくたけリプレイなどでよく見かける「負けロール」にも、この差は顕著に現れています。
FEARゲーでは明確化されたブレイクスルーシステムにより、多少の劣勢は簡単に覆すことが出来ます。
なので、「わざと劣勢に陥るロールをして、その困難に打ち克つ」という演出を利用して「努力・友情・勝利」のようなメソッドを短時間でこなすことができます。

逆に、ガンドッグなんかで「負けロール」…たとえば、うっかりと言いながらわざと罠を踏んでみたりすると、FEARゲーでは黒こげアフロになっていたりする場面でも、ベアリング弾でミンチになっていたりするわけですね。

断っておくと、どちらがいい、という話ではありません。
私自身は割りと自虐的なネタで笑いを取ったりするのが好きなので、死亡に対する危機感で身動きが取れなくなるのはあまり好みません。
しかし、死なないと言う保障が出来てしまっているのではゲーム的なスリルなどなく、ガチで殺しあうようなSRPG的な楽しみは出来ません。

結局は、卓を囲んだ相手の嗜好をよく聞いて、手加減をするなり下駄を履かせるなりしてお互いに楽しめるようにしましょう、という結論にしかならないのですが。
この辺りの「プレイスタイルから来る認識の差異」に気付かずに相手に押し付けている人も結構多いのではないかな、と。
コンベンションなどに行っても、そういった擦り合わせを相談した覚えはないですし。