シナリオ嗜好?

今回も、読んだリプレイに関して書こうかな、と思ってます。
というのも、ついにゲヘナリプレイ「アザゼル・テンプテーション」が完結したからです。
しっかり読み終わったので、今日はこれを中心に話をしていきます。

えー、素直な感想。死ぬほどつまらん。
パルヴィーン達を描いた1、2巻はまだ面白かったのですけど、3巻以降はまるでつまらない。
パルヴィーン編の惰性でついつい最後まで読んでしまったけど、金の無駄だったかな、とさえ思ってしまいます。
というのも、せっかくアラビアンダークファンタジーを謳う独特の雰囲気が特徴であるゲヘナを用いて、やっていることがギャグなんです。

以前、pirokiさんに頂いたコメントを引用します。
>使っているシステムがどういう方向性を指向しているかによってある程度棲み分けはできる
これはシステムの難易度や危機感の話だったのですが、シナリオに関しても同じ事が言えます。
現代学園ラブコメがやりたくてソードワールドをやる人も、超人格闘アクションがやりたくてクトゥルフをやる人もいないでしょう。
汎用ベーシックルールとして世界観の規定がないガープスなどを除けば、TRPGには基本的に「そのシステムが推奨する世界観」というのが存在します。

「世界観」という言葉を勘違いしている人は案外多いのですが、「ルールとしてこう設定されている」というのは「世界観」ではなく「世界設定」です。
「世界観」とは、特定の個人から見て(たとえばキャラクターから見て)認識できる世界の姿です。

つまり、「そのシステムが推奨する世界観」とは、「PCにとって世界はこう見えている」という「価値観の推奨」です。
具体例をあげるなら、ナイトウィザードのPCとなるウィザードにとっては「世界は守るべきものである」という価値観が想定されており、「世界なんて滅んでしまえばいい」なんて価値観を持ってしまったら、システムとしてのナイトウィザードはシナリオごと破綻します。

で、冒頭のゲヘナの話に戻ります。
ゲヘナの世界設定は、比喩ではなく本当に地獄です。
死者が横行し、奈落の使徒が人々を襲い、生と死は隣り合わせ。
そんな希望の希薄な世界で、実在するかどうかもわからない楽園を目指してもがき苦しむ。
それがゲヘナの世界観だと、ルールブックや過去のリプレイ、ノベルからは受け取れました。
が、三巻以降。アザゼル・テンプテーションに入ってから…主人公は「なんとなく」で、一万人に一人しか生き残らないと言う地獄の試練に飛び入り、ふらふらと楽しそうなところへ旅をするという、おおよそ上記の「もがき苦しむ」世界観を持っているとは思えないキャラクター。
他のパーティメンバーも、色情狂であったり、拷問マニアであったり、戦闘狂であったり…おおよそ、生きる苦しみとは無縁そうな登場人物。
地獄としてのゲヘナを期待した読者としては裏切られた気分でおなかいっぱいでした。
しかも、最後くらいはしっかりとまとめてくれるのかと思っていたのに、最終決戦までグダグダ。
以下ネタバレ反転そもそもが何も解決を見てなくて、ラスボスもシナリオに深く関わった黒幕などではなく、ルルブに出てくる上位邪霊。しかも勝てなさそうだからNPCに命乞いして手助けを貰うというグダグダ具合。

まあ、ただ批判がしたかったわけでもなく、このリプレイを教訓に考えて欲しいことがあります。
それは、「あなたがプレイしているそのシナリオ、もしくはキャラクターは、このシステムでなければやれない、このシステムでこそやる意味のあるものになっていますか?」ということです。

最近、「とりあえず人気があるから」とか、「とりあえず注目はひけるから」という理由で、元々のシステムの特徴、面白さを蔑ろにしたGMを見ることがあります。
それは、純粋にそのシステムを、世界観を好きで遊びたいと思っているプレイヤーに対する冒涜だとさえ思います。
コンベンションだと、同じシステムが複数立卓することを遠慮してしまうこともありますし、唯一そのシステムを選んでいる卓が「とりあえず」なんて言おうものなら、泣くしかありません。

「そのシステムだからこそ表現出来る、そのシステムだからこそ面白い」
今、あなたが作っているシナリオ、キャラクター、もう一度考えなおして見ませんか?