ゲーム的なロールと演技のロール

role-play ━━ vt., n. 役割を演じる(こと).

goo辞書ではこのようにでてきます。
私はTRPGよりなり茶(PBC)を先に始めていたので、一口に「ロール」というと、キャラクターとしての(プレイヤーを切り離した)発言やアクション、全てを一緒くたに考えてしまいます。

しかし、ロールプレイは役割を演じるものであって、キャラクター表現をしているだけではただのキャラクタープレイだ、と思われるかもしれません。
tukasabeのTRPG日記
少し古い記事ですが、内容として近いものがあるので参考にさせていただきます。
要約すると、「キャラクタープレイに没頭すると、キャラクターらしさを追及するあまり本来の役割を演じることが疎かになる」というお話かと思うんですが、これにはちょっと疑問があります。
本来の役割を演じると言うことの例としてミッションの遂行やシナリオの展開に沿うことがあげられていますが…それはただ単に、協調性が不足してコンセンサスが取れていないだけではないでしょうか?

というのも、冒頭で言った通り、なり茶から入った自分としては(なり茶民全部が同じように思っているとは思いませんが)roleという単語の持つ意味を、「役割」ではなく、演劇などで使われる「役」。つまり、「そういうキャラクター(役柄)を最後まで演じきること」が「ロールプレイ」だと解釈しているのです。

逆に、「その世界では依頼があれば冒険者が動くのは普通」だとか、「モチベーションが与えてあるのにそのミッションに向かってくれない」というのは、その世界に住んでいるはずのキャラクターとして、そもそもその役柄を演じきれていないと思えます。
キャラクターらしい行動が行えていないというのはキャラクタープレイですらありません。

と、実はここまででやっと前置きなのですが、TRPGには「ゲーム的な進行を補助する「役割」のロールプレイ」と、「演技としてそのキャラクターを演出する「役柄」としてのロールプレイ」という二つが同居している、というのが本題です。

tukasabe様のブログでも言及されているように、「役柄」しか演じられないPLは脱線してしまいがちに思われます。
しかし、以前も書いたように、そのシステムを知らないから、とりあえず演技力で乗り切ろうというのは、初心者には有効な方法です。
たとえば、情報収集を行う際に「コネを使う」のか、「街で聞き込みをする」のか、あるいは「占う」のか、どれがメジャーな方法なのかわかりません。
それなら、判断基準は「ゲームとしてどれが正しいか」よりも「キャラクターとしてどうしそうか」の方が優先されるでしょう。ゲームとしてどれが正解なのかはそもそも知らないのだから、考えたってどうしようもありません。
コンベンションなどで知らないシステムを遊ぶ際にもそれは言えるでしょう。

いわゆるFEARゲーの、テンプレートに沿って判定していけばストーリーは進む、というスタイルはこの「役柄」しか演じなくても大丈夫、というのを強く意識していると思います。
ただ、問題が一つ(いや、本当は無数にあるんですが)。
「役柄」だけでプレイが出来てしまう所為で、「役割」について模索していこうと言う姿勢が薄れてしまうことです。

確かに、FEAR的な英雄ロールは楽しいかもしれません。
しかし、その所為で、どこかで見たようなアニメやらゲームやらの模倣ばかりのプレイヤーが多いことも事実です。
コンベンションでそういうプレイヤーに当たってしまうと、原作では〜だったから〜すべきだ!と声高に押し付けてくるような痛々しいセッションが起こる事も事実です。(私も体験しました)
そういったプレイヤーは、前例に倣うばかりで、自分たちで新しいものを作ろうと言う意識が足りないと思います。

今まで経験したことのない状況に置かれるとすぐに思考停止して、状況が動いてくれるのをじっと待つばかり。
自分から蚊帳の外に居座るくせに、動きにくい動きにくいとぶつくさ文句ばかり言う。
そういうプレイヤー、周りにいませんか?
ここまで末期症状になってしまうと、以前このブログで馬鹿にした「ロールプレイが出来ないのは本人の人間力に問題がある」というのも、つい頷いてしまいそうになります。

「役柄の演技」に特化したFEARのゲームが、役割も役柄も考えながら動かないといけないゲームに比べて初心者に親しみ易いのは必然だと思うし、そういったゲームも業界としては必要だと思います。
ただ、それだけでは遊べないゲームも、それだけでは遊びにくい環境もあるのは間違いなく、入門編としてのFEARから巣立っていく、役割を演じられるだけの引出しを増やしていくことができる土壌がないといけないんじゃないかな、と思うのです。

なんだか「FEAR」か「FEAR以外」に傾倒しすぎて、他に拒絶反応を示す縄張り意識の強い人が多すぎるから、そういった遷移が起こってくれないのではないかな、と邪推しています。
身近にも、「FEARしかやりたくない」「知ってるシステムしかプレイしたくない」という人がいるので、心配です。