「役割」と「役柄」の役割分担

なんだか凄くわかりにくいタイトルですが。
気を取り直して、「ゲーム的なロールと演技のロール」の続きです。
「役割」と「役柄」、それぞれがどういうものと定義しているかは「役割」と「役柄」をご覧ください。

まず最初に、「役割」だけ、「役柄」だけでTRPGがプレイできるのか、というところから始めたいと思います。
結論から言えば、それは可能です。

「役割」だけという状況は、極論すればハック&スラッシュとなるでしょうか。
ダンジョン探索や戦闘に入ると行動宣言が多くなり、PC同士の掛け合いなんかの「役柄」の演技は割合的に減っていきます。

「役柄」だけという状況は、基本的に判定などは行わずに会話だけで物語が進行していく状況ですね。
システムが戦闘に特化されてシティアドベンチャー部分でゲーム的な判定が起こらないものなんかでは特に起こりやすい状況です。
私がマスターをする際には、ナイトウィザードのミドルフェイズなんかではこの傾向が強くなってしまいます。

で、FEARゲーと呼ばれるものの多くは「役割」を果たさないといけない場面が明確に示唆してあったり、「役割」に特化したPCを作らなくともそれがクリアできてしまう場合が多いから「役柄」に特化したデザインになっている、と論じたわけですが。

自分のTRPG経験を省みると、問題はやはりこの部分だな、と思うことが多い。

まず、前者。「役割」を果たさないといけない場面が明確に示唆してある場合のこと。
これでは、GMが使いどころを指示してくれるのを待って思考停止してしまい、リソースの使い方を自分で工夫すると言う意識がなくなってます。
ダブルクロスをプレイしていて、シナリオロイスにヒントが隠されているのに「自分は社会が1しかないから情報収集できません」と言われた時は涙が出そうになりました。
「役柄」として与えられているリソースに関しても同じ事が言えるのですが、「GMが用意しているドラマティックな展開に沿う為にリソースは温存しておく」という意識がどこかにあるのではないでしょうか。

次に、「役割」に特化したPCを作らなくともそれがクリアできてしまう場合のこと。
このデザインの功罪は、「PCに万能感を与える」ということでしょう。
それが、ドラマティックな英雄ロールを手軽に行うのには適切であると言えるでしょう。
しかし、PC全員がそれぞれやりたいことをやっていればいいという状況では、PL同士が擦り合わせて「役割」を分担する…という工夫がしにくくなります。
今まで十数回のナイトウィザードをプレイして、忍者でトラップ感知をしっかりとってくれた人は一人しかいません。

ある意味では真逆であるはずの、上の二つの要因が中途半端に混在してしまった結果、「GMに言われないと動けないPL」、あるいは「PLはGMに従うものだと思い込んだGM」を生み出す土壌となり、PL同士が擦り合わせて役割分担の確認をしないから、致命的に足りないものがあっても気付かない。他のPCが持ってるリソースも確認しないから、本人が気付かない限りプレイが停滞する…という悪影響が出ているのではないかと思います。

その「一人一人が好き勝手にキャラクターを作る」、「役割を果たす場面はGMが用意してくれるはず」という部分から、「それぞれのPLが思い描くお約束のプレイの押し付け合い」に発展するんじゃないかな、というのは個人的な邪推です。