「役割」と「役柄」の役割分担その2

三日もかけてFEAR批判をしてそろそろ自分はFEAR厨と言われても否定できないくらいFEAR好きだと言っても信じてもらえなさそうな気がする今日この頃いかがお過ごしでしょうか。
あんだけツッコミが入ってまだ続くのかと思われるかもしれませんが、まだ続きます。
悪いところをあげ連ねただけだと改善にはならないですしね。

今度は何が言いたいかというと、「役割」だけでも「役柄」だけでもロールプレイをしていればTRPGは出来るけど、両方をバランスよくやってこそ、TRPGは面白いんじゃないか?ということ。

先日、新しい方のローズトゥロードをプレイしました。
その時に驚いたのは、技能の大雑把さ。
その技能を何に使うかは自分で考えてくださいって、FEARに慣れた自分にはかなり新鮮でした。
FEARでもフレーバー部分を演出に使うことはありますけど、それはあくまで「役柄」の範疇ですし。
このゲームでは、自分の持っている技能や能力値から「自分には何ができるのか」を考えながらプレイしないと、まったくのお荷物になりかねません。
自分の持っている技能から「役割」を考える事を「強く意識しながら」プレイしたことは初めてだったかもしれません。
後から思い返すと、「思いついた人が実行してみる」プレイをしてしまっていて、他の人の技能や能力値を把握してすり合わせながらプレイしていくべきだったのかな、と思いました。

「なんだ、他のゲームでも結局は出来なかったんじゃないか」と思われるかもしれませんが、全く持ってその通りです。
しかし、私はこのプレイを機に、この「役割のロールプレイ」を意識するようになりました。

結局、人間というのは実際に経験して、成功して味を占めるなり、失敗して反省するなりしないと新しいことは覚えられません。
で、当たり前なのですが、TRPGのシステムはそれぞれのデザイン目的によって主張する「要点」が違います。
特定のシステムでしか遊ばないでいると、そのシステムで重要視されている部分は上手くなっても、逆に軽視されている部分は気に留められず、最後には省略されてしまうことすらあります。
FEARのリプレイで「ここは演出でいい」とか言われていたりするのが顕著な例かと。

その「軽視される部分」というのが、多くのFEARゲーでは「役割のロールプレイ」にあたるのではないか、というのが今まで三日かけて語った内容です。
しかし、「役割」と「役柄」でしつこく言ったように、「軽視されている」ことは「それを利用した遊び方が出来ない」ことと同義ではありません。

私の知り合いにもいる、昔から色々なゲームに触れているキャリアの長い方は、FEARゲーでも要点はきっちり抑えた上でクレバーな立ち回りを見せてくれます。
普段、自分が遊びなれたシステムでも「そんな遊び方があったのか」と驚かされた経験はありませんか?
固定概念に囚われずに柔軟な遊び方が見られることこそTRPGの楽しさであり、柔軟な遊び方の引き出しを増やすのは、やはり経験だと思うのです。

しかし、危機感の違いお約束って何?で断片的に述べたように、多分、思っている以上に「遊んだことの無いシステム」というのは敷居が高いのではないかと思います。

で、ゲーム的なロールと演技のロールで語った事に戻るのですが…
FEARのゲームは確かに遊びやすいし、初心者が入門編としてプレイするのには丁度いいんだけど、少しTRPGに慣れたらもう一歩踏み込んで、色々なゲームをプレイして引出しを増やしていった方がいいんじゃないかな、と。
その為には、「遊んだことの無いシステム」という敷居の高さをユーザーの側で下げていって、新規の参入者を受け入れる土壌を作らないといけないのではないかと。
危機感やお約束について知っているプレイヤーが新規の人を誘導しながらプレイするとか、知らないことを前提に説明をするとか、手近にできる対策は結構あるはずです。

そういう意味で、一見まるで芸風が違うように見えるトミーウォーカー、アークライト、FEARなどの架け橋となってるR&Rは結構頑張ってるのではないかと思うのですが…どうなのでしょう?