シナリオにおける「死」の扱い

「ここは俺が食い止める。お前たちは先に行け!…なぁに、すぐに追いつくさ」

昔からこういうシーンは大好きで、追いつくとか言いながら自爆技を仕掛けたりするところまでお約束…とかいうのはどうでもいいんですが。
前回の話にも通じることなんですが、シナリオにおける、お約束的な「死」の扱いに関する話です。

キャンペーンなんかになるとまた話は別なんですが、単発のセッションでは3時間から5、6時間程度の間で、ある程度に盛り上げ、その上で完結した物語を作ることが求められます。

おおまかにテレビ番組に換算すると、3時間のプレイを目指すならいいとこで一時間番組、4、5時間のプレイだと、情景描写や脱線事故を含めた一時間番組、5、6時間のプレイでやっと2時間ドラマ程度の内容が消化できて、3時間もの大作映画なんかをやりきろうとするとどうしても前後編に分けたり、キャンペーンにする必要があるかな、という感じです。
短い時間でこれ以上の内容を詰め込もうとすると、情報量過多な上に噛み砕く時間はなく、消化不良を起こす…ということになって、GMもネタを使い切れない、PLも内容を把握しきれないやりきれなさが残ります。

シナリオの面白さはやはり、そのシナリオでどれくらい「感動」できたか、それにかかっていると思います。
「感動」とは何かと言えば、心が動くこと…つまり、心の振れ幅とシナリオの満足度は比例するのです。
では、短い時間で、あまり内容を詰め込むことも出来ない…そんな時に、効果的に心を揺らすことが出来るものは何か…それが、「死」です。

「人間の感情の中で最も強いものは憎しみだ」と、時たま目にします。
であれば、シナリオでは何らかの対象に憎しみを覚えさせ、それを解消する物語にする…それが「心の振れ幅」を広げるのに効果的だと言えるのではないでしょうか。
それでは、どうやってPCたちに、そしてPLたちに「憎しみ」を感じてもらうか…

人が何かを「憎い」と感じる時、それは「何かが犠牲になった時」というのが多いのではないでしょうか。
愛する人が殺される、罪もない人が巻き添えになる、自分が蹴落とされて(犠牲になって)他の誰かが成功を収める、などなど。
どんな犠牲が琴線に触れるかというのは様々ですが、やはり「犠牲」というのは大きなポイントになっているように思えます。

と、これでやっと話が冒頭に戻るのですが…「犠牲」を一種のパラメータとしてみた時、一番理解しやすく、共感しやすいのは「NPCの死」ではないでしょうか。
名もない一般市民が何百人と殺されるよりは、PCたちとしっかり絡んだNPCが犠牲になる方が印象が強いでしょう。
NPCの犠牲による憎悪に直接共感は出来なくても、NPCが殺されれば敵が倒さなければいけない悪であることを理解することは出来るはずです。
「命と引き換えに〜」というセリフがあれば、それがどれだけ重大な選択かというのも容易に判断できます。

この、「死」というツールを安易に使いすぎて食傷気味になっちゃいないかな…と、自分のシナリオを見直す今日この頃。
他のツールも開拓して使いこなせるようになりたいものです。