協力するってこと

少し前の記事になってしまうのですが、こんな記事を読みました。
◇◆◇◆TRPG娘のつれづれ雑記◆◇◆◇
■[雑談]TRPGはコミュニケーション向上を手助けするツールとなるか!?

自分でもこんな記事を書いていて、かなり共感できる内容でしたので、きょうはこの辺りのことについて。

今回取り上げる話の主題としては、
TRPGは多人数で楽しむ遊びである」
「多人数で楽しむためには独りよがりではいけない」
と、こんなところでしょうか。

ちょっときついこと書きます。
私は自分がGMをやる時、楽しむために自発的になんとかしようという意思が見えないPLがいると、その場で見捨てます。
他のPLが心配して舞台に引っ張り上げるとかしなければ、そのPLにシーンは与えません。
与えられるのを待っているだけのPLにシーンなんか与えても進展など望めないだろうし、時間の無駄です。
与えられるストーリーをそのまま受け入れるだけで楽しいなら小説でも読んでた方がよっぽど有意義なんですが、なんでわざわざTRPGでやるのでしょう?
必要だから存在するはずのPCが欠落したシナリオを読んで面白いと思えません、私には。
たとえてみるなら、ク○リンのいないドラ○ン○ール?(何か違う)

一緒に楽しもうと考えていたら、最低限、観客に徹してそのまま終わってしまうなんて事はそうそうありえないと思うんですが…。

逆に、自己主張が激しすぎて周りの楽しみを阻害する人もいますよね。
自己表現だけひたすらしていたいなら、その情熱を小説執筆にでもぶつけてくれたほうが、よほど満足のいくものが出来ると思います。
まあ、そういう完成で書かれたものは自分で読んだら面白くても、他人の目からは暗号か怪文書かという勢いで読めないものが多い気がするのですが…それはそれでご愛嬌。

対極に見えるこの二つのタイプ。どちらも一緒にゲームを楽しみたいとは思えないという点の他にも、明確な共通点があります。

それは、どちらも「卓の中で自分だけは特別」ということ。
他のPLやGMを、自分を楽しませてくれる役者だと見ているか、自分の独演を聞いてくれる聴衆だと見ているかで方向性は違えど、それは変わらないかと。

なんだかなー、と思うわけで。
同じ目的で同じ卓についた時点で、その場にいる全員は対等であるべきですよ。
GMとPLで立場は変わっても、お互いのやるべき事をすればいいだけのはずで。
そういうところから「相手の立場を思いやる」っていうコミュニケーション能力が欠落してるんじゃないかと。

個人的に、こういう経験に嫌気が差して、最近コンベ参加を見合わせようかと思いつつあるのですけど…これって、そんなに難しいことなんだろうか。