PCに出来る事。PLに出来る事。

遊びは努力次第でより楽しめるようになる、というのは持論なわけで。
私の主宰するサークルでは定例会でのセッションの後、軽い反省会をやります。
ゲームバランスとしてどうだったか(敵が強すぎなかったかとか)から、ロールプレイで困った話などなど。

そんな中で、私が時たま口にすること。
「PLにできないことをやろうとするのはやめようよ」

これだけを見ると相当酷いこと言ってるなぁ、と自分でも思うのだけど、実際、これをやられて困ることって自分以外でも多いのではないかと思うのですよ。

たとえば、コンベなどでよく話題になった「劣化天プレイ」。
一見ハチャメチャに見える田中天氏のプレイが賞賛され、プレイメンバーにも許容されているのには、ハチャメチャに見えても他のメンバーと協力する姿勢があり、締めるべきところは締め、また、脱線しているように見えても最終的には戻ってきてくれるという信頼関係が出来ているという背景があります。
コンベンションなど、一見の相手がこれをやろうとすると「本当に協力してくれるのか?」「脱線してるけど軌道修正できるのか?」というのが信用できず、GMにも他のPLにも負担をかけることになります。
……そして大抵は、軌道修正なんてしようともせずに投げっぱなしになるから嫌われるわけで。
そこで問題になるのは、「脱線した話の筋を収束させる能力」というPLの技能が決定的に不足していた、ということだと考えるわけです。

うちのサークルでよく見られるのは、「世間ずれしたキャラを好んでやる所為で他のPCとコミュニケーションをとり損ねる」というもの。
高校生から社会人くらいを想定した現代シナリオで、好んで小学生をプレイしたとする。
舞台が現代なんだから、小学生の社会的地位は極端に低くて当たり前です。
情報収集をしようにも、無策に質問をするだけではまともに取り合ってもらえないのが当たり前でしょう。
某人気小学生探偵漫画(及びアニメ)を見ても、小学生の発言が真面目な場面ではいかに取り合ってもらえないかというのはわかろうというものです。

しかし逆に、その小学生探偵はあの手この手でそのハンデを克服して活躍しています。
TRPGに例えるなら、このPLは小学生のロールプレイが出来る能力を持っている、ということです。

ハンドアウトなどで役割を指定する場合、何をして欲しいのかはわかっているはずなのに「俺のキャラはそういうキャラじゃないしー」とか言う奴は論外です。
指定から外れたキャラをやりたいなら、それでも役割は果たせる能力を持っていて初めて許されるというものでしょう。

「自分の行動は自分で責任を持って纏める」
最低限、これだけは肝に銘じて、自分に出来ることと出来ないことを見極めてもらいたいと思います。