「楽しい」と「面白い」

辞書をひいてみると、「面白い」の意味として「楽しい、愉快だ」と書いてあるので本来の日本語の定義とは違ってしまうのですが……
TRPGに限らず、何らかの娯楽を堪能した後の感想として「楽しかった」と思う時と「面白かった」と思う時って印象が違いませんか?

これは自分にとって、という定義なので万人に当てはまる訳ではない、という前提で読んでいただきたいのですが、私にとっては
・楽しい=自分も輪に入って、主体的に遊んでいる
・面白い=自分は観客になり、客観的に何かを見ている
という感じです。
たとえば、カラオケやボードゲームなど、自分も参加して身体を動かしたり頭を使ったりしているのは楽しい。
本を読んだり、映画を見たりしているのは、面白い。
……というところまでが、前提です。

上記の定義にTRPGを当てはめてみると、TRPGは「楽しい」遊びに分類されるはずです。
しかし、実際に自分のプレイしたTRPGを思い返してみると、「楽しかったセッション」と「面白かったセッション」はそれぞれ、別にあったような気がします。
では、その違いはなんだったのか。

私はロールプレイ至上主義といいますか、「PCの立場になって物語を紡ぐこと」が、私にとってのTRPGの一番の楽しみです。
なので、初めてプレイするシステムでルールや世界観を把握できていなかったりすると、PCが知っているはずの事をPLが知らないとか…そういう部分でPCの立場になりきれず、一番の楽しみにしている部分が満足できない結果になることが多いです。
しかし、楽しみきれずとも面白かったセッションは多々あります。

要するに、TRPGにおいてはPCになりきることが主体的で、PCを駒のように、自分が傍観者の立場で接することが客観的…と、私は感じているのかな、と。

世の中には、ロールプレイを恥ずかしいものと感じており、ロールプレイに熱中する人を気持ち悪く感じる人もいるようです。
私のようにロールプレイをすることが大好きな人間が少数派なのか多数派なのかはわかりませんが、コンベンションなど、周囲の嗜好が把握しきれない場においては無難な方向に…楽しみ自体は抑え気味でも、不快感を与えないように面白いプレイをすることが多く感じます。

ただ、そんなプレイをしていると、TRPGを楽しんでいる!というよりも、TRPGをネタにしてジョークを言い合っていて、PCなんていてもいなくても同じ…という状況に陥っていることが多いです。
それでも「面白い」のだからセッション自体は成功と思っていいと思うのですが…

「楽しい」と「面白い」が主観と客観の差であるなら、たまたま卓を囲んだ相手を「楽しませる」のと「面白がらせる」のなら、「面白がらせる」方が格段に簡単です。
面白いことをやって見せるだけで面白がらせることは出来ますが、楽しんでもらう為には一度相手に見せたものを相手が受け取って、さらに相手の主観で楽しく料理してもらわなければならないのですから。

最近、面白いだけのセッションが食傷気味で、楽しいセッションがやりたいなぁ…などと思っていたり。