ダブルクロスのゲームバランス

最近、JGC合わせのリプレイなどを含めて色々とリプレイを読みふけっています。
「七色の風をあつめて」と「ダブルクロス・リプレイ・オリジン未来の絆」の二本は、最近読んだリプレイの中では特に秀逸でした。

それぞれの感想はおいおい書いていくとして、今回は「未来の絆」を読んで「GMが想定するDXのゲームバランス」について、思ったことがあるので書き留めてみたいと思います。

命守 星光版 徒然草“ダブルクロスのパワーバランス”
今日のセッションでPLに聞かれたこと「(侵蝕率)何処まで上がります?」
それに対する答え「130前後で(自律判定)5D」

この問答に私が答えるのであれば、「140強でロイス4個の二倍振り」と答えます。
というのも、(あくまでGM側の想定という前提において)参加者全員が経験点を満点で終了する事をGMが意図的に推奨するという状況に疑問を持つ、というのが理由の一つ。
参加者が満点を目指して行動をするのはごく自然な行動ですが、満点はあくまでうまく立ち回ったご褒美であり、先だって推奨するものではないと考えます。
TRPGは経験点だけで全ての評価が決まるものではないとはいえ、必ず満点が取れるゲームは茶番に見えます。

それも理由の一つであることは確かなんですが、むしろ追求したいのはもう一つの理由。
それは「侵食率の上昇を恐がりすぎるとゲーム中に出来ることが減る」という事。
「ゲーム終盤に上昇してくる侵食率の所為で、一番自由に動きたいミドル終盤に気兼ねなく登場することが出来ない」というのが、ダブルクロスの一番の欠点である…と、言われます。
確かに、ミドルの最後に「これ以上シーンに出たらクライマックスでリザレクトできなくなる」とか、そういった理由で出し惜しみをされるシーンはよく見かけます。
でも、ちょっと待ってください。
そんな出し惜しみをして、本当に満足のいくプレイが出来ますか?

私は少なからず、TRPGの楽しみは「物語を皆で作り上げていく事」だと教わり、私自身もそう思っています。
「本当は怒りに任せて全力で殴りつけるシーンなんだけど、侵食率が恐いからこのエフェクトははずしておく」
「本当は日常を省みて葛藤を昇華するシーンを挟みたいんだけど、侵食率が恐いからそのシーンはなしで」
……それで、満足の行くように物語を表現出来ていますか?
私は絶対に出来てないと思います。

で、冒頭の「未来の絆」の話に戻ります。
このリプレイの最終話では(以下ネタバレにつき反転)
ボス戦が二回用意され、PCは分断。一戦目にかかったラウンド数だけ二戦目に合流するのが遅れる、というギミックでした。
しかし、その場に残って戦ったPC達は一戦で既にボロボロ。侵食率も三倍振りが確定してしまってエフェクトは愚か登場侵食すら危うい状態。
そして、たった二人で挑む二戦目も当然、限界ギリギリの厳しい状態。
次のラウンドからやっと登場できるという場面に至って、全員がダイスを握り締め、言います。
「駆けつけたところで何も出来なかったとしても、行かないわけにはいかない」

私は、これこそがダブルクロスというゲームの醍醐味だと思います。
ダブルクロスは「ジャーム化という恐怖と、人との絆を護ることを天秤にかけて葛藤する」事こそ、最大のテーマでしょう。
侵食率を恐れてやるべきことを放棄していて、ダブルクロスという物語を美しく語れるでしょうか?

自律判定で2倍振りを行って帰ってきていないという状態は「素直にジャーム化して悲劇的なエンディングにしろ」とルールが主張しているからだ。経験点を全て放棄するということの意味は、ゲームのテーマを無視したことに対して「ちょっと考え直せよ」というメッセージである。

命守さんのこの意見には、私は反対です。
私にとって、ダブルクロスに限らず、TRPGの目的は「やるべきことをやりきる」事であり、その結果として代償を払ってでも帰還するほうが美しいのか、ジャームに身をやつしてでも使命を全うしたとする方が美しいのか。
最後まで葛藤しながら物語を作り上げていくことに意味があるのだと思います。
最後に残された葛藤が「PLの利益かPCの利益か」という選択なのが、少し目標をぶれさせてしまっているように思えますが。

個人的には、このシステムであれば「自立判定後の侵食率」ではなく、「自立判定前に最大いくつまで侵食率が上がったか」によって経験値が算出されるべきだと感じます。
でないと、出し惜しみをしてこそこそ逃げ回った人が一番評価を受けるという結果になってしまうので。